■タンキングにより2年連続でロケッツが1位指名権を獲得
NBAドラフトの1位指名権は、1966年から両カンファレンスの最下位チーム同士によるコインフリップ(コイントス)で争われるようになった。だが、そのシステムもついに破綻をきたし、1984年のドラフトを最後に翌年からはロッタリー制度が導入されることになる。
コインフリップが廃止に追い込まれた最大の原因は、より上位の指名権を得るために公然と行なわれていたタンキング(試合にわざと負ける行為)にあった。1983年のドラフトにおいて、カレッジ史上最高の選手と謳われたラルフ・サンプソンを獲得するため、ヒューストン・ロケッツは1982-83シーズンに14勝68敗という大敗を喫する。そして見事コインフリップで勝利を収め、目論見通り1位指名権を勝ち取ったのだった。
味をしめたロケッツは、翌年度のカレッジNo.1センター、地元ヒューストン大3年のオラジュワンとサンプソンのツインタワー構想を実現すべく、1983-84シーズンも最後の36試合中27試合に負け、1敗差でウエスト最下位を奪取。またもやコインフリップで勝利をもぎ取り、1位指名権の獲得に成功した。その2年間にロケッツがタンキングを行なったことは、後に当時のメンバーや主要スタッフが遠回しに認めている。
業を煮やしたリーグは、翌1985年のドラフトに控えていた大物センター、パトリック・ユーイング(元ニューヨーク・ニックスほか)の過度な争奪戦を防止するためコインフリップ制度を廃止し、ロッタリーシステムの導入に踏み切ったのだった。この年のドラフトロッタリーは、19年間続いたコインフリップ制度の最終回ということになる。
1984年のNBAドラフトは、6月19日、ニューヨークのマディソンスクエア・ガーデン内にあるフェルト・フォーラムで開催された。1位指名権はロケッツがもぎ取り、2位はインディアナ・ペイサーズからトレードで指名権を得ていたブレイザーズに、以下3位シカゴ・ブルズ、4位ダラス・マーベリックス、5位シクサーズと続いた。
ロケッツは狙い通りオラジュワンを1位で指名。4年前にナイジェリアから海を渡ってきたばかりの7フッター(213cm)は、17歳までサッカーをプレーし、バスケットボールの経験はまったくなかった。ヒューストン大では、1年先にNBA入りを果たしたクライド・ドレクスラー(元ブレイザーズほか)とストリートスタイルのバスケットボールを繰り広げ、一大旋風を巻き起こしている。
オラジュワンは1年時にNCAAトーナメントのファイナル4に進出、2、3年時には決勝まで駒を進めたが、ジョーダンやユーイングといったライバルの後塵を拝し、優勝には手が届かなかった。それでも、地元大学のスター選手であり、史上最強のツインタワー構想を明言していたロケッツの1位指名は既定路線。壇上でデイビッド・スターンNBAコミッショナーから名前を読み上げられても、会場に驚きの声は上がらなかった。
NBAドラフトの1位指名権は、1966年から両カンファレンスの最下位チーム同士によるコインフリップ(コイントス)で争われるようになった。だが、そのシステムもついに破綻をきたし、1984年のドラフトを最後に翌年からはロッタリー制度が導入されることになる。
コインフリップが廃止に追い込まれた最大の原因は、より上位の指名権を得るために公然と行なわれていたタンキング(試合にわざと負ける行為)にあった。1983年のドラフトにおいて、カレッジ史上最高の選手と謳われたラルフ・サンプソンを獲得するため、ヒューストン・ロケッツは1982-83シーズンに14勝68敗という大敗を喫する。そして見事コインフリップで勝利を収め、目論見通り1位指名権を勝ち取ったのだった。
味をしめたロケッツは、翌年度のカレッジNo.1センター、地元ヒューストン大3年のオラジュワンとサンプソンのツインタワー構想を実現すべく、1983-84シーズンも最後の36試合中27試合に負け、1敗差でウエスト最下位を奪取。またもやコインフリップで勝利をもぎ取り、1位指名権の獲得に成功した。その2年間にロケッツがタンキングを行なったことは、後に当時のメンバーや主要スタッフが遠回しに認めている。
業を煮やしたリーグは、翌1985年のドラフトに控えていた大物センター、パトリック・ユーイング(元ニューヨーク・ニックスほか)の過度な争奪戦を防止するためコインフリップ制度を廃止し、ロッタリーシステムの導入に踏み切ったのだった。この年のドラフトロッタリーは、19年間続いたコインフリップ制度の最終回ということになる。
1984年のNBAドラフトは、6月19日、ニューヨークのマディソンスクエア・ガーデン内にあるフェルト・フォーラムで開催された。1位指名権はロケッツがもぎ取り、2位はインディアナ・ペイサーズからトレードで指名権を得ていたブレイザーズに、以下3位シカゴ・ブルズ、4位ダラス・マーベリックス、5位シクサーズと続いた。
ロケッツは狙い通りオラジュワンを1位で指名。4年前にナイジェリアから海を渡ってきたばかりの7フッター(213cm)は、17歳までサッカーをプレーし、バスケットボールの経験はまったくなかった。ヒューストン大では、1年先にNBA入りを果たしたクライド・ドレクスラー(元ブレイザーズほか)とストリートスタイルのバスケットボールを繰り広げ、一大旋風を巻き起こしている。
オラジュワンは1年時にNCAAトーナメントのファイナル4に進出、2、3年時には決勝まで駒を進めたが、ジョーダンやユーイングといったライバルの後塵を拝し、優勝には手が届かなかった。それでも、地元大学のスター選手であり、史上最強のツインタワー構想を明言していたロケッツの1位指名は既定路線。壇上でデイビッド・スターンNBAコミッショナーから名前を読み上げられても、会場に驚きの声は上がらなかった。
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