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NBA

伝説の1984年ドラフトの真相――ジョーダン獲得は「失敗」と謝罪したブルズ、歴史を変えた“ブーイの嘘”【NBAドラフト史】

大井成義

2020.06.04

■ブルズですらジョーダン指名は失敗と認め、地元紙で謝罪していた

 その常識を根底から覆したのが、ジョーダンの人間離れした得点能力と、トライアングル・オフェンスである。センターやパワーフォワードといったビッグマンは、オフェンスに関しては与えられた仕事をすればよい。彼らに代わって、シューティングガードのジョーダンが、試合を完全に支配する。攻撃の起点となり、相手守備陣を切り裂き、圧倒的なオフェンスの力で得点を重ねる。身長2mに満たないガードの選手でも、それまでの高く大きく屈強なセンターに代わって、王様になれることを身をもって証明したのだった。

 だが、時は1984年。ブレイザーズだけでなくすべてのチームにとって、バスケットボールというスポーツの主役はあくまでもビッグマン。いかにジョーダンが並外れた身体能力や得点力を秘めていようと、ガードの選手を中心に据えたチーム作りは、あり得ない選択だった。ジョーダンがリーグを支配し、長きに渡り王朝を築くことになるとは、想像すらできなかった。
 
 意外なことに、当のブルズですらドラフトでジョーダンを避け、ビッグマンの獲得を目論んでいたのだという。ゼネラルマネージャーのロッド・ソーンが、シカゴの地元ファンに向け、ジョーダン指名という不首尾な結果に対し遺憾の意を表明している。ドラフト翌日の『シカゴ・トリビューン』紙には、“ジョーダン獲得で行き詰まり、謝罪するブルズ”と題されたコラムが掲載されている。内容を要約するとこんな感じだ。

“厳しい選択だった。「獲得可能なセンターがいなかった。我々にほかに何ができたんだ?」とソーン。ブルズはジョーダンの指名を避けようと懸命にトライし、ビッグマンを手に入れようと努力を重ねたものの、トレードを引き受けてくれるチームはなかった“

 ノースカロライナ大の名将ディーン・スミスが、選手たちのプレーを完全にコントロールしていたことも、各チームのスカウティングの判断を鈍らせていた要因のひとつだった。厳格なスミスHCはボールのシェアを第一義とし、個人プレーを極端に嫌った。ジョーダンのカレッジ時代3年間の通算平均得点は17.7点。3年時ですら、チームのスコアリングリーダーでありながら平均19.6点である。

『ESPN』のドキュメンタリーで、元NBA選手のダーネル・バレンタイン(元ブレイザーズほか)は「もしスミスHCがグリーンライトを出していたら、ジョーダンは平均40点取っていただろう」と語っている。また、同時代にカレッジでプレーし、後にNBAでも活躍したジョニー・ドーキンス(元サンアントニオ・スパーズほか)は「当時、“ジョーダンを20点以内に抑えることができるのはディーン・スミスだけ”というジョークが流布していたよ」と述べている。
 
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