そしてもうひとつ、ブーイの2位指名を後押しした、後味の悪い事実が後に判明した。ドラフトから30年近く経った2012年、ブーイの現役時代、特にドラフトにまつわる顛末を描いた『ESPN』のドキュメンタリー『Going Big』のなかで、本人が衝撃的とも言える告白を敢行したのだった。ドラフトに向けてブレイザーズの診断を受けた際、彼は2位指名を受けたいがために嘘をついたのだという。
「彼らは小さな木槌で俺の左足の脛骨を叩いたんだ。『何も感じない』と答えたが、実際は痛みを感じていた。ドラフトで上位指名されたいため、俺は嘘をついた。確かにそれは間違いだったかもしれない。だが、家族や恋人など愛する者がいて、彼らが経済的な援助を必要としていたら、誰もがそうするだろう。俺も同じようにしたまでだ」
ブーイにとっては些細な嘘だったろうが、NBAの歴史を振り返れば“世紀の嘘”ということになる。もしその時ブーイが本当のことを言っていれば、ブレイザーズの指名選手が違っていた可能性は極めて高い。丸2年を治療に充て、完治したとされる故障箇所にその後も痛みを感じる、そんな状態の選手を2位で指名するなどというギャンブルは、そうそう打てるものではない。
もしブーイを見送ったとしても、ビッグマンを欲していたブレイザーズは2位でジョーダンを指名しなかっただろう、そう語る当時のチーム関係者もいる。次なる候補はバークレーになる可能性が高かった、と。ただ、それはあくまでも仮定の話であり、ブーイが古傷に問題を抱えていたことが判明し、完全に候補から外れていたら、より慎重で深い議論や検討がなされていたはずで、実際どうなっていたかは誰にもわからない。
兎にも角にも、ブレイザーズは2位でブーイを、ブルズは3位でジョーダンを指名した。そして、ブレイザーズの目論見は残念ながら大きく外れ、望まなかったにしろ、3位のブルズがドラフト史上最高の逸材を獲得したわけである。
その結果は、ドラフト史やNBA史の範疇を超えて、スニーカーやファッション、スポーツシーンからカルチャー全体まで、アメリカのみならず世界中の隅々にまで影響を及ぼすことになる。1984年6月19日、歴史の転換点となる出来事が、ニューヨークのドラフト会場で起きたのだった。
文●大井成義
※『ダンクシュート』2018年10月号より転載。
【PHOTO】引退後もその影響力は絶大!NBAの頂点に君臨するバスケットボールの”神様”マイケル・ジョーダン特集
「彼らは小さな木槌で俺の左足の脛骨を叩いたんだ。『何も感じない』と答えたが、実際は痛みを感じていた。ドラフトで上位指名されたいため、俺は嘘をついた。確かにそれは間違いだったかもしれない。だが、家族や恋人など愛する者がいて、彼らが経済的な援助を必要としていたら、誰もがそうするだろう。俺も同じようにしたまでだ」
ブーイにとっては些細な嘘だったろうが、NBAの歴史を振り返れば“世紀の嘘”ということになる。もしその時ブーイが本当のことを言っていれば、ブレイザーズの指名選手が違っていた可能性は極めて高い。丸2年を治療に充て、完治したとされる故障箇所にその後も痛みを感じる、そんな状態の選手を2位で指名するなどというギャンブルは、そうそう打てるものではない。
もしブーイを見送ったとしても、ビッグマンを欲していたブレイザーズは2位でジョーダンを指名しなかっただろう、そう語る当時のチーム関係者もいる。次なる候補はバークレーになる可能性が高かった、と。ただ、それはあくまでも仮定の話であり、ブーイが古傷に問題を抱えていたことが判明し、完全に候補から外れていたら、より慎重で深い議論や検討がなされていたはずで、実際どうなっていたかは誰にもわからない。
兎にも角にも、ブレイザーズは2位でブーイを、ブルズは3位でジョーダンを指名した。そして、ブレイザーズの目論見は残念ながら大きく外れ、望まなかったにしろ、3位のブルズがドラフト史上最高の逸材を獲得したわけである。
その結果は、ドラフト史やNBA史の範疇を超えて、スニーカーやファッション、スポーツシーンからカルチャー全体まで、アメリカのみならず世界中の隅々にまで影響を及ぼすことになる。1984年6月19日、歴史の転換点となる出来事が、ニューヨークのドラフト会場で起きたのだった。
文●大井成義
※『ダンクシュート』2018年10月号より転載。
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