問題は2位指名である。候補はノースカロライナ大3年のジョーダンと、ケンタッキー大4年のブーイ。7フッターながら走力とシュート力を併せ持ち、ブロックやパスの能力にも秀でたブーイは、高校時代にマクドナルド・オールアメリカンに選ばれるなど全米にその名を轟かせていた。
古豪ケンタッキー大に進学すると、1年時にモスクワ・オリンピックの代表チームに選ばれ(最終的にアメリカがボイコット)、2年時には平均17.4点、9.1リバウンド、2.9ブロックをマークし、トップセンターの仲間入りを果たす。
ところがそのシーズンの最終盤、ダンクをした後にバランスを崩し、左足に全体重が乗った形で着地してしまい、その後左足脛骨の疲労骨折と診断される。回復は遅々として進まず、それから2シーズンを治療に費やし、大学に都合5年間在籍してようやく復帰を果たしたのだった。そんな足に爆弾を抱えた選手を、ブレイザーズは2位で指名する。スターンがブーイの名前を発表した瞬間、会場の観客から盛大なブーイングが沸き上がった。
だが、周りがなんと言おうと、ブレイザーズ首脳陣にとってはこれがベストの選択だった。シューティングガードには前年のドラフトで獲得した新鋭ドレクスラーがおり、ドレクスラーの成長でスモールフォワードに回った2年連続オールスターのジム・パクソンもいた。
何より、ブレイザーズはその7年前の1976-77シーズン、“史上最高の白人センター”と謳われたビル・ウォルトンを擁し、悲願の初優勝を遂げている。ビッグマンを中心に優勝を勝ち取った成功体験と、バックコートの選手層の厚さが、ジョーダンではなくブーイを獲得するという決断を力強く後押ししたのだった。
バスケットボールというスポーツは、通常の人間なら手が届かない高さに設けられたリングにボールを入れて、得点を競う競技である。背が高い方が圧倒的に有利なのは自明の理だ。サイズのない選手にも重要な役割はあるとはいえ、ゲームを支配するのは往々にして背の高い選手。それゆえ、“ビックマンズ・ゲーム”などと言われたりもする。
バスケットボールが考案された19世紀末から1980年代までは、その考えは今以上に強固だった。歴史を振り返っても、ピラミッドの頂点に立つのはジョージ・マイカン(元ミネアポリス/現ロサンゼルス・レイカーズ)やウィルト・チェンバレン(元フィラデルフィア/現ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)、ビル・ラッセル(元ボストン・セルティックス)、カリーム・アブドゥル・ジャバー(元レイカーズほか)といった大男たち。
事実、レギュラーシーズンMVPが制定された1956年から1987年までの32年間で、身長2m以下の選手がMVPを獲得したのは1957年のボブ・クージー(185cm)と、1964年のオスカー・ロバートソン(196cm)の2例のみ。MVPの大半は、センターでプレーするビッグマンの手に渡っている。強力なセンターを大黒柱に据えてチーム作りを行なうのが、それまでの定石だった。
古豪ケンタッキー大に進学すると、1年時にモスクワ・オリンピックの代表チームに選ばれ(最終的にアメリカがボイコット)、2年時には平均17.4点、9.1リバウンド、2.9ブロックをマークし、トップセンターの仲間入りを果たす。
ところがそのシーズンの最終盤、ダンクをした後にバランスを崩し、左足に全体重が乗った形で着地してしまい、その後左足脛骨の疲労骨折と診断される。回復は遅々として進まず、それから2シーズンを治療に費やし、大学に都合5年間在籍してようやく復帰を果たしたのだった。そんな足に爆弾を抱えた選手を、ブレイザーズは2位で指名する。スターンがブーイの名前を発表した瞬間、会場の観客から盛大なブーイングが沸き上がった。
だが、周りがなんと言おうと、ブレイザーズ首脳陣にとってはこれがベストの選択だった。シューティングガードには前年のドラフトで獲得した新鋭ドレクスラーがおり、ドレクスラーの成長でスモールフォワードに回った2年連続オールスターのジム・パクソンもいた。
何より、ブレイザーズはその7年前の1976-77シーズン、“史上最高の白人センター”と謳われたビル・ウォルトンを擁し、悲願の初優勝を遂げている。ビッグマンを中心に優勝を勝ち取った成功体験と、バックコートの選手層の厚さが、ジョーダンではなくブーイを獲得するという決断を力強く後押ししたのだった。
バスケットボールというスポーツは、通常の人間なら手が届かない高さに設けられたリングにボールを入れて、得点を競う競技である。背が高い方が圧倒的に有利なのは自明の理だ。サイズのない選手にも重要な役割はあるとはいえ、ゲームを支配するのは往々にして背の高い選手。それゆえ、“ビックマンズ・ゲーム”などと言われたりもする。
バスケットボールが考案された19世紀末から1980年代までは、その考えは今以上に強固だった。歴史を振り返っても、ピラミッドの頂点に立つのはジョージ・マイカン(元ミネアポリス/現ロサンゼルス・レイカーズ)やウィルト・チェンバレン(元フィラデルフィア/現ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)、ビル・ラッセル(元ボストン・セルティックス)、カリーム・アブドゥル・ジャバー(元レイカーズほか)といった大男たち。
事実、レギュラーシーズンMVPが制定された1956年から1987年までの32年間で、身長2m以下の選手がMVPを獲得したのは1957年のボブ・クージー(185cm)と、1964年のオスカー・ロバートソン(196cm)の2例のみ。MVPの大半は、センターでプレーするビッグマンの手に渡っている。強力なセンターを大黒柱に据えてチーム作りを行なうのが、それまでの定石だった。
関連記事
- 薬物によりドラフトの2日後に死去…。80年代アメリカの暗部を反映した“波乱万丈”の年【NBAドラフト史:1986年】
- リーグ王者が1位指名権を手にした史上唯一の珍事。レイカーズが隆盛を築くきっかけとなった1982年ドラフトを振り返る【NBAドラフト史】
- ガーネット、ウォーレスをはじめ、キャリア15年以上の“古強者”を多数輩出した1995年【NBAドラフト史】
- 1位候補が乱立した2006年ドラフト。印象に残るのは「神様ジョーダンの見る目の欠如」と「ケガに泣いた悲運のスコアラー」【NBAドラフト史】
- アイザイア・トーマスに加え、変わり種が多く指名された“異色選手の当たり年”。日本人初指名“伝説の巨人”の名も【NBAドラフト史:1981年】