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NBA

伝説の1984年ドラフトの真相――ジョーダン獲得は「失敗」と謝罪したブルズ、歴史を変えた“ブーイの嘘”【NBAドラフト史】

大井成義

2020.06.04

 問題は2位指名である。候補はノースカロライナ大3年のジョーダンと、ケンタッキー大4年のブーイ。7フッターながら走力とシュート力を併せ持ち、ブロックやパスの能力にも秀でたブーイは、高校時代にマクドナルド・オールアメリカンに選ばれるなど全米にその名を轟かせていた。

 古豪ケンタッキー大に進学すると、1年時にモスクワ・オリンピックの代表チームに選ばれ(最終的にアメリカがボイコット)、2年時には平均17.4点、9.1リバウンド、2.9ブロックをマークし、トップセンターの仲間入りを果たす。

 ところがそのシーズンの最終盤、ダンクをした後にバランスを崩し、左足に全体重が乗った形で着地してしまい、その後左足脛骨の疲労骨折と診断される。回復は遅々として進まず、それから2シーズンを治療に費やし、大学に都合5年間在籍してようやく復帰を果たしたのだった。そんな足に爆弾を抱えた選手を、ブレイザーズは2位で指名する。スターンがブーイの名前を発表した瞬間、会場の観客から盛大なブーイングが沸き上がった。

 だが、周りがなんと言おうと、ブレイザーズ首脳陣にとってはこれがベストの選択だった。シューティングガードには前年のドラフトで獲得した新鋭ドレクスラーがおり、ドレクスラーの成長でスモールフォワードに回った2年連続オールスターのジム・パクソンもいた。

 何より、ブレイザーズはその7年前の1976-77シーズン、“史上最高の白人センター”と謳われたビル・ウォルトンを擁し、悲願の初優勝を遂げている。ビッグマンを中心に優勝を勝ち取った成功体験と、バックコートの選手層の厚さが、ジョーダンではなくブーイを獲得するという決断を力強く後押ししたのだった。
 
 バスケットボールというスポーツは、通常の人間なら手が届かない高さに設けられたリングにボールを入れて、得点を競う競技である。背が高い方が圧倒的に有利なのは自明の理だ。サイズのない選手にも重要な役割はあるとはいえ、ゲームを支配するのは往々にして背の高い選手。それゆえ、“ビックマンズ・ゲーム”などと言われたりもする。

 バスケットボールが考案された19世紀末から1980年代までは、その考えは今以上に強固だった。歴史を振り返っても、ピラミッドの頂点に立つのはジョージ・マイカン(元ミネアポリス/現ロサンゼルス・レイカーズ)やウィルト・チェンバレン(元フィラデルフィア/現ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)、ビル・ラッセル(元ボストン・セルティックス)、カリーム・アブドゥル・ジャバー(元レイカーズほか)といった大男たち。

 事実、レギュラーシーズンMVPが制定された1956年から1987年までの32年間で、身長2m以下の選手がMVPを獲得したのは1957年のボブ・クージー(185cm)と、1964年のオスカー・ロバートソン(196cm)の2例のみ。MVPの大半は、センターでプレーするビッグマンの手に渡っている。強力なセンターを大黒柱に据えてチーム作りを行なうのが、それまでの定石だった。
 
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