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NBA

9人のオールスターを輩出するも…。1999年ドラフト組の印象に影を落とした2位指名選手の凋落【NBAドラフト史】

大井成義

2020.10.07

9人ものオールスター選手を輩出した99年ドラフト組。粒ぞろいなのは確かだが、スーパースターは不在という異質の年に。(C)Getty Images

9人ものオールスター選手を輩出した99年ドラフト組。粒ぞろいなのは確かだが、スーパースターは不在という異質の年に。(C)Getty Images

■名誉挽回に闘志を燃やすクラウス

 1998年のシーズンオフに労使交渉が決裂し、NBA史上3度目となるロックアウトに突入した。翌年1月になんとか合意に達したものの、1998-99シーズンは50試合という異例の短縮シーズンとなる。当然各チームとも準備不足は明らかで、スタートダッシュに躓いたり、地力が圧倒的に劣るチームは、ドラフト上位指名権目当てにわざと試合に負ける“タンク”合戦をシーズン後半に繰り広げた。

 そんななか、見事最下位を獲得したのが、ラスト14試合に1勝しかせず、シーズンをわずか8勝で終えたバンクーバー(現メンフィス)・グリズリーズ。ブービーが9勝のクリッパーズで、13勝のブルズがそれに続いた。

 1999年5月22日、ニュージャージー州セコーカスにあるNBAのTVスタジオでドラフトロッタリーは開催された。グリズリーズに与えられた1位指名権獲得率は25.0%、クリッパーズは20.0%、ブルズが15.7%。例年のごとく確率通りに事は運ばず、3番手の獲得率を持っていたブルズに1位指名権が転がり込む。
 
 ロッタリーに参加していたブルズのジェリー・クラウスGMは、1位指名権獲得が決定した瞬間、異様に興奮した様子で気味の悪い笑顔を見せながら、奇妙なガッツボーズを何度も繰り返した。さらに呼ばれてもいないのに、司会進行を務めていた副コミッショナーのラス・グラニクに駆け寄り、自ら握手を求める始末。

 1990年代のブルズは、マイケル・ジョーダンを中心に8年間で6度の優勝を飾り、NBA史に燦然と輝く一大王朝を築いた。とはいえ、いくら神様ジョーダンとて、彼1人の力では1度の優勝すら果たせなかっただろう。適材適所の優秀なサポーティングキャストがいたからこそ、ブルズは隆盛を極めることができた。その重要なサポーティングキャストを集めるために辣腕を振るったのが、クラウスである。

 だが、その王朝を崩壊へと追いやったのも、クラウス自身だった。フィル・ジャクソンHCや選手たちとの軋轢は限界に達し、チームは空中分解。ジャクソンやジョーダンらが去った後のブルズは悲惨の一語に尽きた。2度目の3連覇時の平均勝率が82.5%だったのに対し、翌1998-99シーズンは26%。

 王朝を崩壊させた最大の原因はクラウスにある、そう非難を浴び続けていた彼にとって、この年のドラフト1位指名権獲得は、何物にも代え難い僥倖だった。新たな王朝を再び築き上げ、目にものを見せてやる、そうクラウスは闘志を燃やしていたに違いない。
 
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