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NBA

9人のオールスターを輩出するも…。1999年ドラフト組の印象に影を落とした2位指名選手の凋落【NBAドラフト史】

大井成義

2020.10.07

2位指名のフランシスはゴリ押しでロケッツに移籍。その悪いイメージを払拭するようにブランドと新人王を同時受賞したが……。(C)Getty Images

2位指名のフランシスはゴリ押しでロケッツに移籍。その悪いイメージを払拭するようにブランドと新人王を同時受賞したが……。(C)Getty Images

■1999年組の印象に影を落とした2位指名フランシスの凋落

 最後に、1999年組を代表する選手の1人、フランシスのその後に触れておきたい。彼がグリズリーズでプレーしたくなかった理由は、「親代わりになって育ててくれた祖母が住む故郷メリーランドから、遠く離れたくなかった」、「カナダで生活をしたくなかった」、「アメリカよりも高いカナダの税金」、「広告収入の減少」、そして「神のご意志」、だった。

 結果的に2位で指名されたとはいえ、本人にはグリズリーズでプレーするつもりは毛頭なかった。代理人が各球団のGMに電話をかけまくってトレードの可能性を探ったところ、唯一ロケッツが実現性のあるパッケージを提示。迎えた8月27日、グリズリーズ、ロケッツ、マジックの3チーム計11選手が絡む、当時のNBA史上最大となるブロックバスタートレードが成立する。フランシスは晴れてロケッツの一員として、プロ生活のスタートを切ったのだった。

 ロケッツでは、フランシスという名前をもじって“ザ・フランチャイズ”、“スティービー・フランチャイズ”などといったニックネームを頂戴し、持ち前の得点力とド派手なプレーにより大いに人気を博したが、チームとの蜜月期はそう長く続かなかった。
 
 元々鼻っ柱が強く、自分勝手で練習嫌いな面があり、2003-04シーズンに就任した厳格なジェフ・ヴァン・ガンディHCとの衝突や、プレースタイルおよびチームの方向性との相違により、2004年6月にトレードでマジックに放出。その後ニックスを経て、2007年に再び古巣ロケッツへ舞い戻るも、新たな活路を見出すことはできなかった。

 皮肉なことに、フランシスにとってNBA最後のチームとなるのが、ドラフト時に足蹴にしたグリズリーズ(すでにメンフィスへ移転)。だが、1秒も試合に出ることなく解雇。今度はフランシスが見捨てられることになる。これぞまさしく因果応報。

 その後、海を渡り中国リーグでプレーするも、1か月後には帰国。中国での成績は、4試合に出場し平均0.5点、0.7リバウンドという惨憺たるもの。かつてはNBAきっての花形選手だったフランシスの、なんとも言えない哀れな末路。あれだけの才能を持った選手が、わずか9年でリーグを去るとは、全盛期には誰も想像できなかっただろう。

 坂道を転げ落ちたフランシスのキャリアが、1999年ドラフト組全体の印象に少なからず影響を与えているような気がするのは、僕だけだろうか。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2017年7月号掲載原稿に加筆・修正。

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