そして18歳になる1か月前の2006年11月、CSKAモスクワでプロデビューを飾る。当時のCSKAは、国内は元よりユーロリーグでも王者の欧州きっての強豪として知られていた。その後6シーズンCSKAに籍を置きながら、同じモスクワ圏のヒムキやディナモ・モスクワにも期限付きで移籍しつつ、シュベドは着々と実戦経験を積んでいった。
デビュー当時からその存在はNBAのスカウトレーダーにキャッチされていたが、22歳だった2010年ドラフトでは指名なしに終わる。ガードにしては大きめの198cmというサイズや、ピック&ロールの上手さといったテクニック面、シュートチャンスを自ら創り出せるクリエイティブさなどは注目されていたが、現在ですら86kgと細身のシュベドは当時さらに華奢で、屈強なアメリカ人選手相手にペイント内に切り込んでいく突破力も心許ない、という評価だった。
しかしそこからの2年間で、プレータイムも大幅に増加。まさに成長期を迎えようとしていた2012年のオフ、CSKAとの契約が満了したタイミングで、ミネソタ・ティンバーウルブズから3年契約のオファーを受ける。
当時の会長デイビッド・カーンは「彼はここ数シーズンにわたって、最も注目されている欧州若手タレントの1人だ。ずば抜けたシューティング力とパス能力は、チームにとって大きなプラスになる。我々のプレースタイルにフィットする選手だ」と歓迎した。
当時のウルブズには、ロシア代表の先輩キリレンコも在籍。2012-13シーズンは開幕戦から出場機会を獲得したが、NBAデビュー戦は15分間のプレータイムで無得点に終わる。しかし3戦目に2桁得点をあげると、9試合目のゴールデンステイト・ウォリアーズ戦では22得点、7アシストをマーク。ルーキーイヤーは平均8.6点、3.7アシストとまずまずの成績を残した。
ところが翌年、ケビン・マーティンが入団するとシュベドの出番は減少。さらにキャリア3年目は、3度のトレードでフィラデルフィア・セブンティシクサーズ、ヒューストン・ロケッツ、ニューヨーク・ニックスを渡り歩く羽目に。ニックスでは平均26分のプレータイムで14.8点をマークし、翌シーズンの契約延長をオファーされるに至ったが、彼はこれを断り、故郷ロシアへ戻ることを決めた。
デビュー当時からその存在はNBAのスカウトレーダーにキャッチされていたが、22歳だった2010年ドラフトでは指名なしに終わる。ガードにしては大きめの198cmというサイズや、ピック&ロールの上手さといったテクニック面、シュートチャンスを自ら創り出せるクリエイティブさなどは注目されていたが、現在ですら86kgと細身のシュベドは当時さらに華奢で、屈強なアメリカ人選手相手にペイント内に切り込んでいく突破力も心許ない、という評価だった。
しかしそこからの2年間で、プレータイムも大幅に増加。まさに成長期を迎えようとしていた2012年のオフ、CSKAとの契約が満了したタイミングで、ミネソタ・ティンバーウルブズから3年契約のオファーを受ける。
当時の会長デイビッド・カーンは「彼はここ数シーズンにわたって、最も注目されている欧州若手タレントの1人だ。ずば抜けたシューティング力とパス能力は、チームにとって大きなプラスになる。我々のプレースタイルにフィットする選手だ」と歓迎した。
当時のウルブズには、ロシア代表の先輩キリレンコも在籍。2012-13シーズンは開幕戦から出場機会を獲得したが、NBAデビュー戦は15分間のプレータイムで無得点に終わる。しかし3戦目に2桁得点をあげると、9試合目のゴールデンステイト・ウォリアーズ戦では22得点、7アシストをマーク。ルーキーイヤーは平均8.6点、3.7アシストとまずまずの成績を残した。
ところが翌年、ケビン・マーティンが入団するとシュベドの出番は減少。さらにキャリア3年目は、3度のトレードでフィラデルフィア・セブンティシクサーズ、ヒューストン・ロケッツ、ニューヨーク・ニックスを渡り歩く羽目に。ニックスでは平均26分のプレータイムで14.8点をマークし、翌シーズンの契約延長をオファーされるに至ったが、彼はこれを断り、故郷ロシアへ戻ることを決めた。