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NBA

アジア人初の1位指名が誕生した2002年。“中国の至宝”を巡る攻防と、人生が一変した2位指名選手の物語【NBAドラフト史】

大井成義

2020.10.15

 1位指名権を手にしたロケッツは、すぐさま中国サイドとの交渉に着手する。キャロル・ドーソンGMとルディ・トムジャノビッチHC、顧問弁護士の3人は上海に飛び、さっそくヤオの家族や現地の要人たちと面会した。ドーソンいわく、交渉にあたり効力を発揮したのが、トムジャノビッチの存在だった。NBAブームが浸透しつつある中国において、アメリカと同様にトムジャノビッチは抜群の知名度を誇り、ひとかどの有名人だったそうである。

 とは言え、交渉は一筋縄ではいかなかった。ロケッツのフロント陣は、帰国後もヤオの代理人やCBA、国家体育総局と粘り強く交渉を続けた。相手が予想以上にしたたかだったこともあるが、交渉を難しいものにしていた理由のひとつに、ヤオより1年早くNBA入りしたワン・ジジ(当時マーベリックス)によるトラブルがあった。

 ワンはアメリカでのトレーニングを優先するため、本国からの帰国要請を無視し、中国代表チームから締め出しを食らっていた。「故国を捨てて、アメリカに帰化するのでは」といった憶測が流れたほどで、CBAや国家体育総局は、選手の海外移籍に殊のほか神経を尖らせていた。

 最終的にすべての問題がクリアになったのは、ドラフト当日の早朝のことだった。ドラフト開始の15時間前、その知らせをベッドの中で聞いたドーソンは、思わず大声で叫んだという。
 
 契約条項には中国代表チームへの優先参加や、契約金の半分以上をシャークスとCBAに支払うなど、ロケッツにとって厳しい項目が数多く盛り込まれていた。さらにタイミングが悪いことに、この年の夏には世界選手権が開催されるため、ヤオはシーズン前のトレーニングキャンプに参加できない。ロケッツのコーチングスタッフは大きな不安を抱かざるを得なかったが、厳しい条件に見合うだけの見返りを、ヤオはチームにもたらしてくれると信じるほかなかった。

 6月26日、NBAドラフトはニューヨークで開催された。1位のロケッツはヤオ、2位のブルズはウィリアムズ、3位のウォリアーズはダンリービー、4位のグリズリーズはグッデンを順当に指名。会場に詰めかけたファンは、ヤオの1位指名には大ブーイングで、2位のウィリアムズには大歓声で応えた。

 上位指名で波乱と呼べるのは、トップ5位での指名が有力視されていたバトラーが、10位まで落ちたことだろう。バトラーは指名後のインタビューで、「俺はこのドラフトでトップ5に値する選手だと思っている。俺をスルーしたチームに、報いを受けさせるつもりだ」と、感情を露わにして語った。
 
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ヤオとウィリアムズのNBA入り後の壮絶人生

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