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NBA

大学生を0点に封殺。“史上最高のバスケ集団”ドリームチームが見せた狂気じみた競争心【NBA秘話・前編】

大井成義

2020.12.14

 NBA選手の参入は、実はバルセロナの前回大会、ソウル・オリンピックの開催以前からすでに検討されていた。1986年、スタンコビッチの主導によりFIBA内で投票が行なわれ、結果は31対27で否決。意外なのは、なんとアメリカが反対票を投じたことだった。アメリカはそれまで通り、大学生主体のチームでも十分勝てると踏んでいたのだ。この結果を受けて、スタンコビッチはこうコメントしている。

「世界にはFIBAに所属する選手が2億人いるものの、そのなかにベストの300人がいないというのはナンセンスな話だ。今日、アメリカのプロ選手の方がはるかに強力であることは紛うことなき事実。より強いチームと対戦することによって、世界のその他の国々は進歩することができる」
 
 そして迎えたソウル・オリンピック、アメリカは歴史上初めて銅メダルに甘んずる。それを受けて、プロ解禁待ったなしと考えたスタンコビッチは、翌1989年に再度投票を行なった。当時のNBAコミッショナー、デイビッド・スターンは次のように語っている。

「我々はFIBAに、オリンピックでのプレーには熱心じゃないと伝えた。だから彼らはまた投票を行なったんだ。アメリカは反対票を投じ、ロシアも反対した。しかし、大多数は賛成だったようだ」

 再びアメリカは反対に回ったものの、得票数56対13という大差で、スタンコビッチの悲願はついに成就する。その結果、NBAサイドの思惑とは裏腹にドリームチーム誕生の道筋が開かれ、NBAの将来にとてつもない変革と恩恵をもたらすことになるのだった。

         *         *         *

 1992年5月、11人のNBA選手にカレッジを卒業したばかりのアマチュア選手1人を加えた、計12人の人選が固まる。6月、カリフォルニア州サンディエゴ市北部のラホヤで、ドリームチーム対カレッジ選抜の練習試合が非公開で行なわれた。カレッジ選抜チームには、後にNBAでスター選手となるアンファニー・“ペニー”・ハーダウェイやクリス・ウェバー、グラント・ヒル、アラン・ヒューストンなど精鋭が顔を揃えていた。
 
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