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NBA

ペティット、マラビッチ、シャック……。優勝経験はないものの、3人の殿堂入り選手を輩出する隠れた実力校、ルイジアナ州大【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.01.14

ブラウンHCの熱心な勧誘もあり、シャックは89年にLSUの門戸を叩いた。(C)Getty Images

ブラウンHCの熱心な勧誘もあり、シャックは89年にLSUの門戸を叩いた。(C)Getty Images

 LSUが25年ぶりにトーナメントへ返り咲いたのは79年。モチベーターとしての能力に長けたデイル・ブラウンHCの下、ドゥエイン・スケールズ(元ニューヨーク・ニックスほか)らの活躍でベスト16まで駒を進めた。

 翌80年はベスト8とさらに成績を伸ばすと、81年にはハワード・カーター(元デンバー・ナゲッツほか)を中心に、レギュラーシーズン26連勝を記録。第1シードで臨んだトーナメントでも順調に勝ち進み、2度目のファイナル4進出を果たすも、準決勝でアイザイア・トーマス(元デトロイト・ピストンズ)率いるインディアナ大に敗戦。79年から3大会連続で、のちに優勝校となる大学に敗れることとなった。

 84年からは10年連続でトーナメントに駒を進め、86年は3度目のファイナル4に進出。NBAにも優秀な選手を多く送り出し、個人、チームともに最盛期を迎えていた。

 bjリーグ時代の京都ハンナリーズにも在籍経験のあるモックムード・アブドゥル・ラウーフは、在学中はクリス・ジャクソンの名でプレーしていた。2年間で平均29.0点をあげ、90年のドラフト3位でナゲッツに入団。翌年から現在の名に改名すると、93年にはMIPを受賞、94、96年はフリースロー成功率で1位に輝いた。しかしイスラム教に傾倒するあまり、アメリカ国歌演奏時に起立を拒否するなど問題行動も多く、31歳の若さでリーグを去っている。
 
 ブラウンHC時代で最高の選手は、間違いなくシャックだろう。「彼を最初に見た時から、カリーム・アブドゥル・ジャバー(元レイカーズほか)やビル・ウォルトン(元ポートランド・トレイルブレイザーズほか)のような選手になると思った」と確信していたブラウンは、まだ13歳だったシャックを直々にチームへ勧誘。高校卒業時には数多くの有力大学から声をかけられるまでに成長したシャックだったが、ブラウンへの筋を通し、89年にLSUへと進学した。

 シャックが在学した3年間で、トーナメントの成績は2回戦進出が最高だったが、個人としての能力は抜きんでており、92年にドラフト1位でマジックに入団。90~2000年代の最強センターとして、NBAで一時代を築いた。14年には「俺にとっては父親も同然」と慕う恩師のブラウンともども、カレッジバスケの殿堂入りを果たしている。
 
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