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やっぱり汚れた英雄? “中国競泳界の巨星”孫楊はなぜ世界を敵に回してしまったのか

THE DIGEST編集部

2020.12.26

厳罰が「無効」となっただけで「無実」は証明されていない。いまだ孫楊のキャリアには暗雲が垂れ込めている。(C)Getty Images

 古今東西、これだけ世界中でバッシングを浴びたアスリートも珍しいだろう。五輪で3つの金メダルに輝いたレジェンドにして中国競泳界のスーパースター、孫楊(ソン・ヤン)である。
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 12月24日、スイス連邦最高裁判所はひとつの声明を発表した。今年2月28日、WADA(世界アンチ・ドーピング機構)が告発した孫楊のドーピング拒否問題に関して、CAS(スポーツ仲裁裁判所)は有罪と認定。29歳の名スイマーに対して、事実上の引退勧告ともいえる「8年間の資格停止処分」を言い渡した。しかし孫楊側の上訴を受けていたスイス最高裁はそれから10か月が経って、その裁決を無効としたのだ。CASが開いた聴聞会に「偏見」や「不公平さ」があったとも指摘している。

 まさかの逆転判決を、競泳界のみならず世界中が驚きをもって受け止めた。もはや孫楊のキャリは終焉を迎え、東京五輪出場は風前の灯だと考えられていたからだ。ツイッターをはじめとするSNS上では白紙撤回に対する不満の声が相次ぎ、一方で、孫楊を英雄視する大半の中国人ファンはウェイボーなどにジャッジを支持・絶賛するコメントを寄せている。

 なぜ孫楊は、これほどまでに世界で嫌われるに至ったのか。当然、今回のドタバタ劇だけが原因ではない。

 孫楊は1991年12月1日、中国の杭州で生まれた。父親がバスケットボールの、母親がバレーボールの元選手というアスリート家系で、2メートル近い長身と屈強な体躯はまさに両親譲りだ。裕福な生活のなかで何不自由なく育ち、7歳で水泳をはじめるとあっという間に才能を開花させたという。ジュニア年代から国の特別強化選手に選ばれ、英才教育を施されるのだ。

 自由形のトップ選手となった孫楊は17歳で自国開催の北京五輪にエントリー。1500メートルで8位に食い込む健闘をみせると、以降はスターダムを駆け上がる。アジア大会や世界選手権で表彰台の常連となり、2012年のロンドン五輪では2つの金メダルを獲得。その後も世界のトップシーンに君臨し続け、4年前のリオデジャネイロ五輪でも200メートルで金メダルを掴んだ。

 中国国内では瞬く間にスーパースターの地位を確保し、NBAの姚明(ヤオ・ミン)や陸上110メートル・ハードルのアテネ五輪金メダリスト、劉翔(リョウ・シャン)らと並び称されるほどに。時に物議を醸す歯に衣着せぬ言動と愛国心の強さが国民の共感を呼び、一躍人気者となった。全盛時には10社前後とCM契約を結ぶなど、収入面でも同国トップクラスのポジションを維持した。

 そんな孫楊の周辺で、常に暗い影となってつきまとったのがドーピング疑惑だ。

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