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アスリートキャリア

大阪でサッカーチームを立ち上げた川原隆平が、社長に“直談判”してデュアルキャリアを選択した理由

吉田治良

2021.04.22

作陽高でサッカーに打ち込んだ川原は、ケガが原因で大学時代にはプレーヤーを引退した。(C)Valuence Holdings Inc.

作陽高でサッカーに打ち込んだ川原は、ケガが原因で大学時代にはプレーヤーを引退した。(C)Valuence Holdings Inc.

 日本のブランドリユース業界をリードする『バリュエンスグループ』(以下、バリュエンス)では、アスリートのデュアルキャリア、つまり競技生活と社会人生活との両立を支援する取り組みに積極的だ。

 昨年9月にはアスリートのためのデュアルキャリアプロジェクトとして、『アスリート100人採用』をスタート。さまざまな理由で競技をあきらめざるを得ない状況に置かれた人たちや、引退後の生活に不安を抱く現役プレーヤーなどに救いの手を差し伸べている。

 同グループを率いるのは、元Jリーガーの嵜本晋輔社長。自身も現役時代、ガンバ大阪からわずか3年で戦力外通告を受け、その後ビジネスマンに転身した経緯があるだけに、アスリートたちの苦悩が手に取るように分かるのだろう。

 すでに同プロジェクトによって、数名のアスリート社員が誕生しているが、では、彼らはどのような思いを抱いてバリュエンスの門をたたき、そして現在、いかなるデュアルキャリアを歩んでいるのだろうか。

 今回紹介するのは、過去にガンバ大阪でコーチを務めるなど、28歳の若さにしてサッカー指導者歴がすでに10年に及ぶ川原隆平さんだ。今年2月には大阪市内に小学生年代を対象としたサッカーチームを立ち上げながら、ほぼ同時期にバリュエンスに入社。デュアルキャリアを選択した理由を聞いた。

   ◆   ◆   ◆

──大阪のご出身ですが、中学卒業後は岡山県のサッカーの名門・作陽高に進学されたんですね。

「はい、寮生活をしながらサッカーをやっていました。ポジションはCBやSBで、高校サッカー選手権のメンバーにも選ばれましたが、ただ怪我が多くて……」
 
──大学(大阪商業大)でサッカーを続けられなかったのも、怪我が理由ですか?

「そうですね。大学に進学したタイミングで、サッカー部にも入らないまま引退を決意しました。今でも少し早かったかなとは思いますが、その後は大学に通いながら、幼稚園から中学時代までお世話になった大阪市SS2001というクラブでボランティアコーチをやらせてもらっていましたね」

──指導者への憧れは、それ以前からあったんですか?

「現役を引退してからもサッカーには関わりたいと思っていて、そこでまず考えたのが指導者でした」

──大学卒業後は?

「一般企業(警備会社)に勤めながらボランティアコーチを続けていましたが、ある時、ガンバ大阪がコーチを募集しているのを知って応募したところ、運良く採用していただけたんです。2017年から2年間はアカデミー部でコーチを、その後は小学生年代のジュニアチームで監督も務めさせてもらいました」
 
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