バレーボール

彗星のごとく現れた日本バレー界のニュースター。高橋藍が熱血指導者と出会い、才能を開花させるまで【東京五輪】

北野正樹

2021.07.24

五輪初戦に先発した高橋。安定したプレーで日本を支えた。写真:金子拓弥(THE DIGEST写真部)

 今年5月1、2日に開かれたバレーボールの男子日本代表の国際親善試合「~東京チャレンジ2021~」の日本-中国戦で、好守にはつらつとしたプレーを見せ、彗星のごとく現れた高橋藍(日体大2年)。東山高(京都)を主将として全日本高校選手権(春高バレー)優勝に導き2020年2月、初めて日本代表に登録された高橋にとってデビュー戦となった試合で、安定したレシーブと高さのあるスパイク、高い打点から相手コートに突き刺さるバックアタックを決め、一躍注目を集めた。

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 高橋が評価されるのは、アタッカーとしての資質はもちろん、安定したレシーブ力だ。基礎になったのは、中学時代に守り専門のリベロを経験したことだが、いくつもの偶然が今の高橋藍を生んだ。

「すごい原石がいるぞ」

 2009年4月、京都市立蜂ケ岡中学で教職をスタートさせ、バレー部コーチに就いた千代裕介(当時26歳)に、バレー部監督の諏訪正(現・京都市立松原中学教頭)が声を掛けた。

 話は、2006年の秋ごろにさかのぼる。放課後、校区内を車で巡回をしていた諏訪は、公園でバレーボールを使って遊ぶ2人の少年に目を奪われた。2人でボールをやりとりする対人パス。「なんと上手なんだ。小学生が使う軽いボールだが、大きな子供は手にボールをきちんとヒットし、小さい子供は腕で面をきちんと作ってレシーブしていた。こんな小さい子供が、と驚いた」と諏訪は言う。
 
 京都市立岡崎中学時代に、松永理生(東山高-中央大-パナソニック-豊田合成、現東山高コーチ)や千代を育て、蜂ケ岡中学でバレー部の指導をしていた諏訪は、2人に「何年生?」と声を掛けて、再び驚かされる。小学校高学年だと思った少年は小学1年生。低学年と見た小さい子供は、幼稚園の「年中さん」だった。

「うちの中学校の校区の子供であってほしい」

 6年も先のことだが、校区内に住んでいることを確認した諏訪は、「お母ちゃんに渡しといて」と財布に入れていた名刺を手渡した。

 それが、塁、藍の兄弟との初めての出会いだった。

 当時の蜂ケ岡中は、「もう一つ勝てば近畿大会に出場」(諏訪)という強豪チーム。しかし、公立校のため、いつも優秀な選手が揃っているとは限らず、「勝ち負けより、一生懸命にバレーをすることに重点を置いた」(諏訪)から、戦力は安定しない。しかも、教職員には異動がつきもので、数か月後にバレーの試合会場で出会った家族は「先生もいつまでいらっしゃるかわからないし」と、諏訪の異動時期を気にしていたようだった。