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MLB

秋山翔吾のレッズ入団でついに全球団”制覇”!MLB30球団の「日本人プレーヤー第1号」は誰だ?

スラッガー編集部

2020.01.03

日本人メジャーリーガーのパイオニア、野茂(左)はドジャース初の日本人選手でもある。またマーリンズ初の日本人選手であるイチロー(右)は、同チームでメジャー通算3000本安打を達成した。(C)Getty Images

日本人メジャーリーガーのパイオニア、野茂(左)はドジャース初の日本人選手でもある。またマーリンズ初の日本人選手であるイチロー(右)は、同チームでメジャー通算3000本安打を達成した。(C)Getty Images

 秋山翔吾がレッズと契約したことで、MLB全30球団に日本人選手が在籍したことになった。そこで、各球団の日本人プレーヤー第1号を時代順に振り返っていこう。

●ジャイアンツ(村上雅則:1964年)
 この年、野球留学で南海からジャイアンツ傘下の1Aに派遣された村上は、9月1日にアジア出身選手としては初のメジャー登板を果たす。翌年は45試合に投げて4勝1敗、防御率3.75を記録したが、南海とジャイアンツの間で保有権をめぐる争いが勃発。村上は結局、日本へ帰ることになった。野茂英雄より30年も前にメジャーの地を踏んだ村上の功績はもっと評価されるべきだろう。

●ドジャース(野茂英雄:1995年)
 近鉄で入団1年目から4年連続最多勝&最多奪三振を記録するなど、球界を代表する投手として活躍していた野茂は、監督との軋轢もあって94年オフにメジャー入りを表明。翌年2月にドジャースとマイナー契約を結ぶとオールスター先発、新人王獲得など1年目から大活躍を見せて「ノモマニア」という言葉も生まれた。その後も2度のノーヒッターを記録するなど活躍を続け、MLB12年間で通算123勝。野茂が切り開いた道に、多くの日本人選手が続くことになる。
 
●マリナーズ(マック鈴木:1996年)
 高校中退後に渡米し、1994年にマリナーズ入り。マイナーの階段を着実に上がり、96年7月にメジャーデビューを果たした。マリナーズでは通算23登板で防御率8.78という成績で、99年6月にメッツへトレードされる。

●エンジェルス(長谷川滋利:1997年)
 オリックス時代は先発として2ケタ勝利4回。エンジェルスの入団会見ではチームについて知っていることとして「ピッチャーがミッキーマウス、キャッチャーがミニーマウス」とギャグを飛ばした。メジャーでは主に中継ぎとして活躍。マリナーズに移った2003年にはイチロー、松井秀喜とともにオールスターに選ばれた。

●メッツ(柏田貴史:1997年)
 89年ドラフト外で巨人に入団。97年に野球留学でメッツへ派遣されると5月にメジャーデビューを果たし、セ・リーグ球団出身者では初のメジャーリーガーになった。中継ぎ左腕として35試合に投げて防御率4.31という成績を残したが、1年で日本に戻った。

●ヤンキース(伊良部秀輝:1997年)
 史上最速(当時)158キロを誇るロッテのエースが96年オフにヤンキースへの移籍希望を表明。球団はメジャー挑戦は認めたものの提携先のパドレスへ譲渡したため騒動になったが、最終的には希望を叶えてヤンキース入りした(この問題が契機となってポスティング制度が導入された)。だが、ヤンキースでは大活躍とまではいかず、オーナーのジョージ・スタインブレナーに「太ったヒキガエル」と酷評されたこともあった。
 

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