昨日(11日)行なわれた全日本大学野球選手権の決勝戦で、明治大学を破り、2005年以来18年ぶり5度目の日本一に輝いた青山学院大学。これまで、小久保裕紀(現・福岡ソフトバンク二軍監督)、井口資仁(前・千葉ロッテ監督)、吉田正尚(ボストン・レッドソックス)とプロ野球を代表するスラッガーを輩出してきた。佐々木泰(3年)は、この系譜を継ぐ男として期待を集めている。もっとも過酷なリーグで、〝本物〟を追い求めてもがき続ける時間の中で、ようやく掴みかけた手応えとは?
【動画】佐々木泰が先制アーチ! 全日本大学野球準決勝&決勝ハイライト
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あれはまさに“衝撃のデビュー”だった。
2021年4月。東都大学リーグの青学大-立正大戦第1戦に「5番・サード」のスターティングメンバーで公式戦初出場を果たした1年生の佐々木泰は、2-2の同点で迎えた8回裏、大学第1号となる決勝2ランをレフトスタンドに叩き込む。続く第2戦では、2回表の第1打席で先制ソロ。いきなりの2試合・2打席連続ホームランで、一躍、脚光を浴びる。
そして打順が「3番・サード」に替わった国学院大戦で3号ソロ。続く第2戦でまたしても2試合連続の4号2ラン。1年生が入学早々の4月中に4本のホームランを打ったのは、1993年の東洋大・今岡誠(現・阪神打撃コーチ)以来の快挙。母校の先輩である井口資仁が1996年に樹立した東都リーグ通算本塁打記録の24本を更新するのも確実と思われた。
学生野球界を代表する強豪で、大学のブランド力も高い青学大には、甲子園で活躍した選手や、ドラフト候補が毎年入学してくる。佐々木もその一人だ。県立岐阜商時代に通算41本塁打を記録し、プロからも注目されていた。しかし彼らが3年生の年(2020年)、コロナ禍により春夏の甲子園が中止となる。力を試す場所でもある大会がなくなったことで、「自分の現状の力がどれくらいなのか判断がつかなかった」と悩んだ佐々木は、早くから進路をプロ志望から大学進学に切り替えていた。
その名を全国に知らしめたのは、8月に甲子園で開催された交流試合(対明豊高校)でのホームラン。9回の最後の打席で、左中間に美しい放物線を描いた。そして大学でも開幕早々に大活躍。誰もがそこから4年間、華やかなスター街道を歩むものと思っていた。
1年生の秋も2本塁打するが、その頃から佐々木の成績は下降し始める。ホームランだけでなく、1年春に.371を記録した打率も、その後は1年秋.229、2年春.233、2年秋にはとうとう2割を切る.194と、不本意なシーズンが続いた。佐々木は「苦しかったです」と本音を漏らす。
「1年生の春にああいう結果を出したことで、自分自身に期待してしまって、『もっと打ちたい』という気持ちになっていました。別にホームランを狙っていたというわけじゃなく、『チームのために打ちたい』という気持ちが強くなりすぎていたんです。それで力が入って身体が開く原因になったり、それを修正しようとしているうちにもっと崩れてしまった。そのうち自分本来のスイングを見失っていました。自分の持ち味である『強く振る』がだんだん薄れてしまったんです」
【動画】佐々木泰が先制アーチ! 全日本大学野球準決勝&決勝ハイライト
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あれはまさに“衝撃のデビュー”だった。
2021年4月。東都大学リーグの青学大-立正大戦第1戦に「5番・サード」のスターティングメンバーで公式戦初出場を果たした1年生の佐々木泰は、2-2の同点で迎えた8回裏、大学第1号となる決勝2ランをレフトスタンドに叩き込む。続く第2戦では、2回表の第1打席で先制ソロ。いきなりの2試合・2打席連続ホームランで、一躍、脚光を浴びる。
そして打順が「3番・サード」に替わった国学院大戦で3号ソロ。続く第2戦でまたしても2試合連続の4号2ラン。1年生が入学早々の4月中に4本のホームランを打ったのは、1993年の東洋大・今岡誠(現・阪神打撃コーチ)以来の快挙。母校の先輩である井口資仁が1996年に樹立した東都リーグ通算本塁打記録の24本を更新するのも確実と思われた。
学生野球界を代表する強豪で、大学のブランド力も高い青学大には、甲子園で活躍した選手や、ドラフト候補が毎年入学してくる。佐々木もその一人だ。県立岐阜商時代に通算41本塁打を記録し、プロからも注目されていた。しかし彼らが3年生の年(2020年)、コロナ禍により春夏の甲子園が中止となる。力を試す場所でもある大会がなくなったことで、「自分の現状の力がどれくらいなのか判断がつかなかった」と悩んだ佐々木は、早くから進路をプロ志望から大学進学に切り替えていた。
その名を全国に知らしめたのは、8月に甲子園で開催された交流試合(対明豊高校)でのホームラン。9回の最後の打席で、左中間に美しい放物線を描いた。そして大学でも開幕早々に大活躍。誰もがそこから4年間、華やかなスター街道を歩むものと思っていた。
1年生の秋も2本塁打するが、その頃から佐々木の成績は下降し始める。ホームランだけでなく、1年春に.371を記録した打率も、その後は1年秋.229、2年春.233、2年秋にはとうとう2割を切る.194と、不本意なシーズンが続いた。佐々木は「苦しかったです」と本音を漏らす。
「1年生の春にああいう結果を出したことで、自分自身に期待してしまって、『もっと打ちたい』という気持ちになっていました。別にホームランを狙っていたというわけじゃなく、『チームのために打ちたい』という気持ちが強くなりすぎていたんです。それで力が入って身体が開く原因になったり、それを修正しようとしているうちにもっと崩れてしまった。そのうち自分本来のスイングを見失っていました。自分の持ち味である『強く振る』がだんだん薄れてしまったんです」
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