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食と体調管理

「日本に必要だと思ってもらえる選手に…」藤田慶和が実感した7人制と15人制ラグビーでのコンディショニングの違い。体重なら6kg減

保坂明美(THE DIGEST編集部)

2021.02.01

大学時代に大きな怪我をしたことによって、自分のラグビーに対する考えや姿勢を見直した。(C)Athletemarketing

大学時代に大きな怪我をしたことによって、自分のラグビーに対する考えや姿勢を見直した。(C)Athletemarketing

――高校で親元離れて寮生活。ラグビー漬けの毎日を送り、何か得たこと、学んだことはありますか?

「まず両親のありがたさをすごく感じました。洗濯ひとつにしろ、洗うのから畳むのから全部自分でやらなきゃいけなくなったので、こんな大変なことをやってくれていたんだと思いました。親元離れて支えられてるというか、学費とか寮費とか払ってもらって、行かせてもらってるっていうありがたさは、離れたからこそ感じたことで、人間的に成長できたと思います」

――ラグビーで成長した部分は何かありますか?

「自分の才能みたいなのを伸ばしてもらえた3年間だったと思います。監督が自分で考えて行動してプレーしろというスタイルだったので、あまり型にはめられなかったことが、持ってるものを最大限に伸ばしていただけたという感覚があります。また、福岡に行ったからこそ今こうやって日の丸背負ってプレーできたり、日本のトップでプレーできたりしているんじゃないかと思います」

――早くして日本代表に召集されて、その時の心境としてはいかがでしたか?

「トントン拍子すぎて苦悩がないというか、大体みんな日本代表に選ばれたいと思って選ばれてうれしいって感じなんですけど、僕は日本代表にそんな執着心がなくて、海外のリーグばかり見てたので、その時は、これは通過点という感じで、特別な思いがあったわけではありませんでした」

――でも大学生(早稲田大学)になり、一転して大きな怪我をされましたね。

「大学最初の試合でケガをして、そこからはかなり苦労したというか、自分と向き合う時間が多かったです。左膝の前十字靭帯断裂を手術して、シーズンとかもタイミングがあまり良くなくて、結局試合復帰したのは10か月後でした」

――試合に出られるようになるまでは大変だったのでしょうか?

「そうですね、リハビリも大変だったんですけど、出られるようになってからが大変でしたね。自分の感覚を10か月分取り戻したり、インターナショナルのレベルでプレーしないといけない、エディ(・ジョーンズ。当時の日本代表監督)さんの求めるものに応えないといけないと思っていたので、そこまでいくのがすごく難しかった。一番苦労しましたね」

――具体的にはどの辺ですか?

「高校から日本代表に急に入って、ケガをして。僕のイメージだと、ケガが治ればすぐに戻れるみたいなイメージでやってたので、まだ甘さがあったというか、復帰しても徐々に調子を上げていけばいいとか、甘い考えでやってしまっていました。そこを一番エディさんに認めていただくまで苦労したというのがありますね」

――そこで何か変わったことはありますか?

「高校生、学生のメンタルから世界で戦う選手のメンタルに変わったというか、エディさんに教えていただけたのは僕の中ではすごく大きな一歩だったんじゃないかなと思います」

――一番印象に残ってる言葉などはありますか?

「『考えが甘い』って言われたのは、すごく残っていて、インターナショナルで戦うために必要なメンタル、もちろんトレーニングもしないといけないし、それはすごく印象にあります」

――今までのラグビー人生の中で大きな転換期となったのでしょうか?

「はい。戦う上ではエディさんと一緒にいると勉強になりますし、怪我というすごい大きな代償はあったのですが、いいものも返ってきたと思います」

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